共同研究の趣旨

 近年、日本列島の各地で進められる縄文遺跡の発掘調査のおかげで、質量ともに優れる狩猟採集民文化の一端が明らかにされ、熟成した縄文文化・社会の内容が、改めて高く評価されるようになりました。背後に土器製作、木工技術、漆工技術、石器製作技術、植物利用技術のなどの各方面において、縄文人が達成した高度の技術伝統が学術的に明らかにされてきた経緯があります。
 一般にそのような文化的達成の背景に、高度に発達した社会を想定するのが通常ですが、しかし、その社会の内容となると、ほとんど未解明なのが現在の考古学の状況です。優れた土器の文様意匠や独特の装飾品、土偶や動物形土製品などの品目が、儀礼や祭祀、呪術の発達と直接関わり、それらが社会の複雑化と階層化過程の歩みに深く関わっていることが最近強く指摘されるようになりました。かつて、唯物史観が隆盛の頃、それらの文化内容は、縄文社会が停滞的で、発展することがない狩猟採集民社会の表徴として描かれてきました。いかに優れた技巧を凝らしたものでも、縄文時代はしょせん狩猟採集経済に基づいた自然依存の略奪経済なので、それ以上に進歩することのないシンプルな平等社会だと位置づけられてきました。近年はまさに逆の方向に議論が進んできているといってよいでしょう。まさに隔世の感があります。
 本研究課題は、そのような近年の研究状況に鑑み、縄文時代中期の環状集落の解体から後期社会の成立にいたる過程に光を当て、なぜ環状集落が解体したのか、またその結果、どのような社会が成立したのかを科学的に解明することを趣旨としています。
 縄文後期に出現する技巧を凝らした特殊な異形台付土器や手燭形土製品、動物形土製品、土偶、石棒などは、大型建物(大型住居)や土盛り遺構と呼ばれる特殊な施設から出土することが多く、儀礼や祭祀との関わりで製作使用されたことが明らかです。東北、北海道では、それに環状列石が加わります。それらの儀礼や祭祀、呪術が精神世界とむずび付き、特に先祖祭祀を中核とする宗教・儀礼体系と関わることも予想されています。先祖祭祀と霊的世界の発達が、中期の大型環状集落の解体から後期の分散的集落への移行と裏表の関係で進行した点を考慮すると、社会の変革をもたらした根本的な変動要因として、それらが大変重要な意義を持ったと考えることができます。
 今まで、中期の環状集落を縄文社会の繁栄の象徴として考え、後期集落への変遷を、文化的凋落、後退期をみなす考えの方が圧倒的に多かったと思います。しかし、上述の事実を考えると、果たしてその捉え方が正しかったのかどうか、改めて検証する必要があるように思います。また経済史観による視点が本当に社会の盛衰や社会の複雑化に向けた動きを解明する方法として相応しいかどうか、改めて問われております。むしろ問うべきは、それらと密接に関連した社会基盤の整備と変革の過程ではないでしょうか。
 そもそも社会を正当かつ具体的に取り上げた研究が今までにあったでしょうか。親族構造や出自体系、クランやリネージ、それらを通じて形成される血縁親族関係の網の目と、婚姻制度と婚姻連帯、結社組織が結節として構成される網の目が縦横に張り巡らされ、地域社会が成立することを前提にした具体的な研究があったでしようか。残念ながら、10数年前まで、それらは夢の世界だと考えられ、実現視する向きはありませんでした。
 それらは目に見えない不可視の社会を相手にするので、実物を対象とする考古学からは最も距離のある領域と見なされたからです。
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 ところが、1990年に衝撃的な発見がなされました。それは考古学ではなく、全く無関係のように見える集団遺伝学からの照射でした。茨城県中妻貝塚の一括再葬土坑墓から得られた人骨資料のmtDNA解析を行った篠田謙一教授らの研究で、中妻貝塚の土坑墓に埋葬された人々の集団が、すでに単系出自社会にあり、しかも母系制社会であることが明らかにされたのです。
 社会進化の上で、単系出自社会は、部族社会の基礎であり、出自集団を基礎に高度に組織化する社会の基盤をなしています。弥生時代、古墳時代の首長制社会といえども分節組織(クラン)を基盤として成立し、それらを統合する過程で成立するのであり、古代国家の成立の基盤もそこにあります。社会の複雑化と階層化過程を考える上で、社会基盤の整備と変革は次の社会発展を考える上で、目には見えませんが大変重要な働きをいたします。社会基盤の解明を目指す新たな研究領域の発達により、考古学の思考範囲は急速に拡大しました。縄文時代の社会は、もはや目に見えぬ不可視の世界ではありません。
 分子生物学の発達により、人類の起源問題から個別の民族の成立に至るまで、ゲノム研究の範囲は急速に拡大しています。目には異なって見えても、相互に深い間柄にある人々の関係を証明し、似たもの同士であっても実は起源を異にすることが証明されたり、不可視の領域を極めて整然と切り分けて見せてくれます。考古学では目に見えにくい世界を明らかにするうえで大変重要な武器になります。
 今回の研究では、考古学と社会人類学が連携を深め、さらに生命科学の支援を受けながら、新たな領域を切り開くことを目指しております。その意味で考古学も他の人文科学と同様に、「人間とは何か」を問うために新たな試みをする時代に入ったといえるでしょう。
 私達は、その時代の科学的知識の制限を免れることはできません。だから、その時代の科学的達成を基盤として、新たな試みをする他は学術に関与することはできません。もちろん、それは20年後、30年後に回顧してみると、恐ろしく稚拙で過誤に富んだものに見えるかもしれません。しかし、それは科学全般の宿命であって、その時々の学術基盤を踏み台にして一歩前に踏み出さない事には得られるものではありません。本研究課題の研究がさらに先の展望を構築できるような土台を築けるなら、望外の喜びです。

研究代表者 早稲田大学文学学術院教授 高橋龍三郎